
「クビットフェイルの大雪原で」
白いオッパイのように優しい山並みがどこまでも連なる、ノルウェーのクビットフェイルの大雪原で
XCスキーを楽しむ、素敵な老夫婦にお会いした。
言葉は通じなかったけれど、走るのを中断して私のカメラのモデルになってくれた。
こんな極寒の中でも、ふたりの穏やかな笑顔がよかったなァ……
私たちは、
ノルウェー語と日本語で、「じゃ、お元気で、さようなら~!」と言って、別れた。
「1/2000秒の残像 001」
スキー・ワールドカップを追いかけて、ヨーロッパを転戦していたころ
私はなぜか、女子のレースを撮らされることが多かった。
アニタ・バハター(小リスのように小柄で、可愛いいAUTの選手)が、いかつい大女を相手に
胸のすくようなスリリングな滑りで、表彰台に上がるのが楽しみだった。

「1/2000秒の残像 013」
キッツビューエルと並んで、クラシックレースの大舞台ウェンゲン。
この大半径高速ターンは、バックにアイガー北壁を従えて、いやがおうでも迫力満点。
すぐこの後に、奈落の底へ飛び降りる断崖絶壁が待っている………

「1/2000秒の残像 014」
私は今、これを描きおえて、歴史の証人になった気分だ。
……その昔、アルベールヴィル冬季オリンピックでは、命知らずの男たちが、
衝立のような氷壁を、ただ真っすぐ滑り降りるキロメーターランセという狂人的公開種目があって、
私は3日間も、この氷の急斜面に張り付いて、シャッターを押し続けていたのだ。
(今思うに、私だって、命がけだったんだぁ……)
「1/2000秒の残像 015」
初めてスノーボードの滑りに見とれてしまったのは、コロラド州ビーバークリークでした。
日本いえば、安比高原ってイメージの、パウダースノーとロングな林間コースが売りの高級(?)リゾートなんですが。
そこの美人インストラクターがゲレンデを案内してくれることになり、
「私はコレで滑るから、後をついていらっしゃ」と、
みごとなプロポーションのボディをくねらせながら、粉雪の林間コースを優雅に滑っていく後ろ姿に、
こっちは必死についていったという、なんともアメリカンな思い出が残っています。
「1/2000秒の残像 024」
12月にバルディゼールで開催されるレースは、「プルミエール」と呼ばれる(初雪)大会。
シーズンインしたばかりのダウンヒラーが、気合を入れて突っ込んでくる。
恐ろしいトラップが、いくつも待ち受けているのに……
「1/2000秒の残像 027」
エクストリームスキーの日本語訳を、なんと表現したらいいのかわからないけど、あえて言えば
”自殺行為的・断崖飛び降りスキー”とでも…アラスカの世界大会を取材に行った時は、さすがの私も尻込みし、
遠くから双眼鏡で、その信じられない行為を見ていただけだった。正に、クレイジー!!!
「さようならステンマルク、きみの滑りを見れてよかった」(秒028)
その時、志賀高原焼額山の特設GSコースにつめかけた多くのアルペンファンの眼前で、
この不世出の天才スラローマーは、まるで躍るような、それでいて力強く美しい滑りを見せてくれた。
私が、ワールドカップに関わることになった、想い出深いワンシーン。

「1/2000秒の残像 036」
目の前を、素肌にわずか数ミリのダウンヒルスーツに身を包んだ肉体が、時速120kmオーバーで、
一瞬のうちに滑りすぎる。…そのスゴさに、シャッターを押した後も、指先が震えている。

「ラウバーホルンのスタートハウス」 (秒039)
スキー・ワールドカップの中で最長のダウンヒルコース、ウェンゲン。
スケールはかなり違うけれど、日本に例えるなら、剣岳を望む立山山頂からスタートして
黒部の谷底まで一気に滑り降りて行くようなもの。
それにしても、この氷雪をまとったアイガー北壁の、怖いような美しさは……
それまでに、滑空程度だったら20~30回ぐらいテイクオフして、地面を離れたことがある。
でも、ここはパラパントの本場というか、まるっきりスケールが違うフレンチ・アルプスの絶壁の頂。
私は、インストラクターの背中にしがみついているしかなかった……
で、スキーで直滑降して、テイクオフ!
(……アチャー、なんかチビリそうなぐらい怖いけど、爽快感で背すじがヒクヒクしてきたゾ……)
ご来場ありがとうございました。